曲線を取り入れた品格ある優美な外観で日比谷に未来志向の新たな体験や価値を創出する

明治維新以降、日本の近代化をリードし芸術文化・エンターテインメントの街として名高い日比谷の地に、オフィス・商業施設・映画館・ビジネス連携拠点などからなる大規模複合施設「東京ミッドタウン日比谷」が誕生した。高層部はかつて日比谷にあった鹿鳴館でダンスをする男女から発想を得た“ダンシングタワー”をコンセプトに柔らかなファサードを採り入れ、低層部や地下のアーケードは解体された三信ビルをモチーフにアールデコ様式の品格あるデザインを踏襲。東京圏では初となる国家戦略特別区域として、時代の先端をゆく「国際ビジネス・芸術文化都心」の象徴となっている。


当社建築の出発地点

明治維新以降、鹿鳴館や帝国ホテルなどの建設で近代化を象徴し、現在では、劇場やホテル、大企業の本社屋が連なる日比谷。ここに当社の建築の出発点とされる日比谷三井ビルがあった。日比谷公園に隣接する敷地に建設された日比谷三井ビルは、1957年9月に着工し、丸3年をかけ完成した。SRC造、地上9階、地下5階、延床面積9万3,000m²のビルは当時、東洋一の規模を誇るマンモスビルである。

東京ミッドタウン日比谷は、この日比谷三井ビルとそれに隣接する三信ビルの跡地を統合して建替える事業で、2つのビルの間を走る区道を付け替えて土地を一体化し、延床面積約18万9,000m²にのぼる大規模再開発が実現した。

JAPAN VALUEを発信し、人々の交流を促す

さまざまなイベントで賑わう「アトリウム」は、伝統的な劇場空間を参考にした3層吹き抜けになっており、芸術文化・エンターテインメントの聖地である日比谷にふさわしい優雅な空間が広がっている。6階の屋外には「日比谷テラス」と呼ばれる日比谷公園を眼下に見渡せる3フロアにわたりセットバックした屋外テラスが設けられ、憩いの場を提供する。地下の「日比谷アーケード」では、東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷駅」と直結するバリアフリー通路が整備され、日常的に快適な歩行環境を提供するだけでなく、災害時には帰宅困難者の一時避難場所としても利用することが可能となった。

10年におよぶプロジェクト

都心部における大規模プロジェクトはほとんどが建替え事業であり、既存建築物の解体工事を伴うことが多くなっている。東京ミッドタウン日比谷の敷地周辺は、劇場や映画館、ホテルがあり、日中は演劇や映画の上映、夜間はホテルの宿泊客がいるため常に音、振動が伝わってはいけない。しかし、解体工事が進まなければプロジェクト全体の工期に影響を与えかねない。解体工事を行う前に、騒音・振動の影響実験を重ね、極力周辺に影響を与えない工法を選択した。また地下工事では、「ハイブリッド逆打ち工法」を考案。一般的な逆打ち工法では1階から、地下1階、2階と順々に施工していくが、当工事では、地下2階までを逆打ち工法で施工した後、地下2階以深部分にアースアンカーを打ち山留支保工を施工、そこから最終床付けまでの解体・掘削を行い地下4階、3階と順打ち工法で躯体を構築した。

緻密な施工計画と総合現場の総合力

地上工事では、低層部と高層部で異なる柱スパンをつなぎ合わせるトランスファー鉄骨の建て方の精度管理や、建物を象徴する緩やかな曲線、細やかな折り目のある複雑な形状の1フロアあたり160ユニットにもおよぶ外装カーテンウォールなど工程のキーとなるポイントがあったが、着工時の全体工程通りに工事を進めることができた。ひとえに緻密な施工計画があったからだと言える。
また、工事の進捗に伴い移転しなければならない150人を収容する現場事務所や約1,800人の作業員の休憩所の確保、日々の作業員が各々の作業場に行く動線。建物を造るには直接形にならない仕事もたくさんある。そうしたいくつもの苦難を乗り越え、竣工に向け一致団結して工事を進める職員・作業員を含めた現場の総合力、それこそが大規模工事を成し遂げる一番の要因であるに違いない。

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